司馬遼太郎『日本人と日本文化』
著者は司馬遼太郎と記していますが、ドナルド・キーンとの対談です。昭和47年5月に発刊されたものです。外国人であるキーンさんが、司馬氏と1時代の数作品のついての知識でなく、古代から近世についてまでの豊富な知識で十分以上に語り合うことを見て素晴らしいと感嘆しました。
雄大な構想で歴史と人物を描き続ける司馬氏と、日本文学の優れた研究者であるキーン氏が共に歴史の香りを味わいながら<双方の体温で感じ取った日本文化>を語る、興趣尽きない対談。と紹介されていますがそのとおりだと思いました。
第1章 日本文化の誕生
第2章 空海と一休
第3章 金の世界・銀の世界
第4章 日本人の戦争感
第5章 日本人のモラル
第6章 日本にきた外国人
第7章 続・日本人のモラル
第8章 江戸の文化
各項目について、第1回が奈良平城京跡 第2回が京都の銀閣寺 第3回が大阪の適塾で会い懇談に移っています。対談ですから大まかな題材を決め奔放に思いつくまま語り合ったのだと思います。
司馬遼太郎の著作は何冊も読みましたが、小説は一つの題材で終始一貫して書き終えます。しかし、対談は相手の反応によってどんどん内容が発展していきます。一つにこだわらずに対談者の豊な知識がほとばしりでます。従って、この対談の企画は、素晴らしいものであったということになります。
日本文化の誕生は、朝鮮が圧倒的な中国の影響を受けている反面、海を隔てた日本の文化は漢文を乗り越えて生れたことがわかります。日本人の対外意識、外国文化の受け入れ方は、日本の独自性がうかがい知れます。ひらがなが生まれ女性でもわかる文章が書かれて来ました。漢文でかかれたものが「ますらおぶり」であり、かなで書かれたものが「たおやめぶり」であったように大別できるようです。
日本文化は、平安時代からスタートさせているのが常識であるが、起源は室町時代だと見ています。お茶、お花、能狂言などがそうであるとしています。能狂言が全国に広まっていき、標準語的働きを担っていく。その結果、庶民や無学な侍がものを書いて記録を残すようになったのが室町時代末期ごろからであると見ています。
そういえば、戦国時代、江戸時代、明治・大正などが時代物の対象とされますが、文化の庶民への伝播は、室町時代が起点になっていることを改めて知らされました。とかく室町時代は、地味なようで私たちにとって今ひとつしっくり来ていなかったのですが、もっと注目されていいのではないかと気づかされました。
上記した各項目が対談と言う「話しことば」ですから、各項目ともわかりやすく、親しみやすく、興味深く読むことができました。
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