山岡荘八『小説太平洋戦争』(6)
6巻になりました。5巻までを振り返るスペースはありませんが、昭和19年10月の「神風特別攻撃隊」から始まっています。自らの命を犠牲にして敵に攻撃をかける。この計画をを実施することは、負けを意味することである。勝つためには生きていなくてはならない。兵士に万が一の生還の希望は無い。
戦争も進んで、飛行機の生産が落ち、操縦できる熟練の兵士も少なくなってきている。突撃に出て目標を捕らえ目的を遂げられるものは、急速に少なくなってくる。それでも青年兵士は、敵にめがけて突撃を続けます。
フィリピンのレイテ島決戦も悲劇的でした。フィリピン本島決戦とした計画が出来上がっていたのですが、参謀本部からの一方通行で急遽、レイテ島決戦に変更が行われました。敵の上陸は、昭和19年10月17日、こちらが陣地を築く前に適の上陸が始まりました。作戦の変更は、22日でした。その頃は敵の上陸が進んでいたので、本来守る戦いが、攻める戦いになったのです。こちらの上陸は、人だけで、武器や食料は空からの攻撃で海岸に着く前に海に沈められました。制空権を失い補給はほとんど不可能でした。
海軍も残った艦隊の全力を集中して、レイテを目指します。制空権を失い、敵の状況がどうなっているという情報も無く、めくら同然で航行しています。艦隊が空からの戦闘機の波状攻撃と潜水艦の魚雷攻撃をもろに受けます。この戦いで世界に誇る不沈艦「武蔵」は、敢え無く最期を遂げます。時に、昭和19年10月23日のことでした。
陸軍のレイテの戦いも悲惨なものでした。ガダルカナル島、サイパン島と後手後手で大敗を喫したのに、敵の上陸に間に合わぬ作戦変更。戦いの態をなしていないようです。それでも「命令」は絶対です。参謀長が作戦の変更を申し出ると「意気地が無い」とのことで、更迭です。後任の参謀長が事情を把握できない間に戦いは進行し、実戦部隊に被害が及ぶことになります。
日本本土にある「参謀本部」と現地の参謀が一体にならずに、現場に意見をくみ上げずに本部の「命令」のみが一人歩きしていきます。ゲームならば、リセットしてもう一度やり直しが効きますが、戦争はとてつもなく被害(死者の山)が拡大します。3師団約6万人のうち、生存者は数えるほどでした。
挙句の果てに「自戦自活」と言う命令が出ます。「敵に降伏してはならない。補給は無い。自活しながら戦いなさい。」と言う命令です。日本の軍隊では、「降伏」という意味を教えていなかったのです。横田さん、小野田さんがいても不思議ではなかったのです。でも、不幸なことです。
フィリピン本島の戦いもレイテに戦力を割いて2分していたので、苦戦は当然でした。戦うことは、勝利することと言うより、本土に敵が攻め込むのを1日でも引き伸ばすこととして行われていました。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(9)-1(2008.12.04)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(8)-2(2008.11.27)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(8)-1(2008.11.13)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(7)(2008.10.23)
- 加島祥造『タオ 老子』(2008.10.11)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/205145/42592244
この記事へのトラックバック一覧です: 山岡荘八『小説太平洋戦争』(6):












コメント