山岡荘八『小説太平洋戦争』(5)
昭和19年3月に「インパール作戦」が始められ7月はじめに中止になっています。蒋援(中国蒋介石支援物資輸送)ルートの破壊とビルマを安泰にするために、隣国インドのインパールを押さえる。一つの地域を保つためにさらに先を押さえなくてはならない。そうして戦線が拡大していきます。
日本からはるかかなたのビルマで戦争をすることに驚きを禁じ得ませんが、さらにインドまで戦線を拡大することの無謀さを感じます。敵方は、道路を作り、食料庫をつくり、武器庫を作り、日本の戦線の不統一の隙に、堅固な要塞を築いてしまいます。わが方は、インパールを3方向から包囲していくことになりますが、ここまでは何とかなりました。
しかし、案の定、補給が途絶えます。食料は無くなり、弾薬が無くなり、戦車、大砲などの重装備の武器は無い。ジャングルの中を歩き回って靴は無くなり、裸足です。風呂にも入れず、服はぼろぼろになって今で言えばホームレスのような集団です。その間にいろいろの出来事がありますが丸3ヶ月間。徒労に終わったとしか言いようがありません。
武器、弾薬を失い、兵隊を死なせ、結果、撤退をすることになります。戦死者の埋葬も大きな仕事です。当然なことながら、負けようと思って作戦を進めたとは思いませんが、声の大きい方の作戦が通って結果が思わしいものが残らない。結果論ですが、見通しが甘かった。チームワーク(連携)が悪かった。と言うことです。
転じて、太平洋上のサイパン島です。マリアナ群島(サイパンはその1島)、カロリン群島の西太平洋地域は、戦前日本の委任統治領で、日本の統治下にあった地域です。サイパンの重要性は、島から本土まで2,400Km。B29(大型爆撃機)を飛ばせば、日本本土を空襲できると言うことです。そして、サイパンには在留邦人が2.3万名余、それにわが軍が3万名弱に増員をしたばかりです。
昭和19年6月15日、米軍のサイパン島上陸が始まります。事前に艦砲射撃で徹底的に砲撃を受けます。敵の上陸を9月頃と読んでいたわが方の見通しの甘さと準備不足ではどうにもなりません。絶対国防圏であるサイパン島に敵の上陸に備えての武器、大砲、弾薬、要塞など築いていなかったのです。ずるずると押し切られ、7月7日に玉砕です。1ヶ月と持たなかったのです。サイパンは陥落しました。不憫なのは、在留邦人、即ち非戦闘要員も巻き添えにして、その多くも命を落としていることです。
日本国内では、7月18日までサイパンの陥落は伏せられていました。その間の動きで、内閣にも変動が起きます。命の不安を感じながら岸信介商工大臣らの働きで東条英機首相を総辞職に追い込みました。新たに小磯国昭陸軍大将が首相に任命されます。
7月22日新政府が発足しました。小磯首相は、国力の再検討の報告を受けます。昭和19年度のわが国の生産力が目標の半分、来年は見込みが立たないとの報告を受けます。小磯首相は愕然とします。わが国に戦争遂行能力は無いと観念します。それでも、戦争は続きます。潮時は、指導者の情報として共有されていないのです。悲劇はさらに何重にも積み重なっていきます。
昨日、NHKでポツダム宣言受託の玉音放送(昭和天皇の終戦宣言)について特集をしていました。文言一つにこだわって1日放送が遅れ、この間に、空襲や出撃で戦いが継続し、何千人の同胞が命を落としています。幹部のメンツを立てるために数千人の命と引き換えられたのです。中央ではいち早く見切りをつけ、現場を救う見通しを持たなくてはならないこと、改めて強く感じます。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(9)-1(2008.12.04)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(8)-2(2008.11.27)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(8)-1(2008.11.13)
- 山岡荘八『小説太平洋戦争』(7)(2008.10.23)
- 加島祥造『タオ 老子』(2008.10.11)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/205145/42379114
この記事へのトラックバック一覧です: 山岡荘八『小説太平洋戦争』(5):












コメント