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2008年9月30日 (火)

帯広の一寸手前まで来ました!

毎月、月末に1ヶ月のウォーキングの集計をしています。1年半をかけて6月に本州と九州を地図上で踏破しました。7月から北海道の一周を目指しています。函館を出発して、室蘭、苫小牧、札幌を過ぎて先月末は、旭川の一寸手前まで来たことになります。

旭川は、北海道のほぼ中心に位置し、函館本線の終点になります。北海道第二の都市で人口35万人余りです。農業が中心で、牧場や農地も広大で、北の大地と言う感じを持つところです。

今頃は、観楓会(かんぷうかい)がはじまり、山には雪が降りだす時期になります。本州の紅葉と比べるととても鮮やかで且つ雄大で見ごたえがあります。観楓会は寒風会のことと思っていたのですが、紅葉を楽しむ会のようです。紅葉狩りのように風流ではなく、東京の花見のようにお酒が入って賑やかなようで、これからが本番です。

旭山動物園も有名です。TVや新聞でも採り上げられ苦労話も伺いました。入場者は、上野動物園を超え、日本一です。経費も少なく苦しい中で知恵を絞っての事業の発展をなしえた見本のような素晴らしさがあります。

美瑛、富良野、を通って帯広まで来ました。帯広は、酪農はじめ農業が中心です。通ったことがあるだけですが、本州の風景と比べるととても雄大です。但し、冬は寒そうです。9月の歩行集計は以下の通りです。

           9月/年間/累計(21ヶ月)歩数集計
           総歩数 1日平均歩数   歩行距離  消費カロリー
  9 月 /   307,744   10,258    230.69Km  12,756Kcal
 
年 間 / 2,868,225   10,508   2,150.12Km  118,627Kcal
 累 計 / 6,679,547   10,470    4,961.16Km   276,657Kcal

今月の体重は、先月と同じく80キロを20回切りました。79.3~79.9までとわずかですが80キロを少しずつ切ることが定着するようになってきています。smilesmilesmile

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2008年9月28日 (日)

見事な瑠璃色と鮮やかな赤です!

上野公園から荒川自然公園のコースを回りました。町屋までは上野駅から京成線で3つ目です。いろいろの種類のドングリが沢山生っていました。これから大きくなる種類もあって暫くは楽しめそうです。

Dsc05963 中でも秋の実りは、色鮮やかで目を引くものが沢山あります。紫式部が別の場所にに植えられているのですが、日当りが悪いのか毎年色づきが良くないようです。それに引き換え見事な瑠璃色のコムラサキシキブは人目を引きます。

Dsc05996 赤い色の実をつけるものは沢山あります。今日はウメモドキの実を紹介します。、ハナミズキ、カマズミ、サンゴジュなども鮮やかな赤い実をたくさんつけており、行き交う人達の目を楽しませてくれています。

Dsc05931 栗の実がもう直ぐ色づきそうです。初落下はあったようですが、イガグリはまだ青く、これから色づき実りも深まることと思います。ゆっくり見て回ると都内の片隅ですが豊な自然が残っており、大切にしていきたいな~と思います。

大分涼しくなり、歩きやすくなりました。余り無理せずマイペースでやっていこうと思っています。それでも約1万千歩ほど歩きました。

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2008年9月25日 (木)

山岡荘八『小説太平洋戦争』(6)

6巻になりました。5巻までを振り返るスペースはありませんが、昭和19年10月の「神風特別攻撃隊」から始まっています。自らの命を犠牲にして敵に攻撃をかける。この計画をを実施することは、負けを意味することである。勝つためには生きていなくてはならない。兵士に万が一の生還の希望は無い。

戦争も進んで、飛行機の生産が落ち、操縦できる熟練の兵士も少なくなってきている。突撃に出て目標を捕らえ目的を遂げられるものは、急速に少なくなってくる。それでも青年兵士は、敵にめがけて突撃を続けます。

フィリピンのレイテ島決戦も悲劇的でした。フィリピン本島決戦とした計画が出来上がっていたのですが、参謀本部からの一方通行で急遽、レイテ島決戦に変更が行われました。敵の上陸は、昭和19年10月17日、こちらが陣地を築く前に適の上陸が始まりました。作戦の変更は、22日でした。その頃は敵の上陸が進んでいたので、本来守る戦いが、攻める戦いになったのです。こちらの上陸は、人だけで、武器や食料は空からの攻撃で海岸に着く前に海に沈められました。制空権を失い補給はほとんど不可能でした。

海軍も残った艦隊の全力を集中して、レイテを目指します。制空権を失い、敵の状況がどうなっているという情報も無く、めくら同然で航行しています。艦隊が空からの戦闘機の波状攻撃と潜水艦の魚雷攻撃をもろに受けます。この戦いで世界に誇る不沈艦「武蔵」は、敢え無く最期を遂げます。時に、昭和19年10月23日のことでした。

陸軍のレイテの戦いも悲惨なものでした。ガダルカナル島、サイパン島と後手後手で大敗を喫したのに、敵の上陸に間に合わぬ作戦変更。戦いの態をなしていないようです。それでも「命令」は絶対です。参謀長が作戦の変更を申し出ると「意気地が無い」とのことで、更迭です。後任の参謀長が事情を把握できない間に戦いは進行し、実戦部隊に被害が及ぶことになります。

日本本土にある「参謀本部」と現地の参謀が一体にならずに、現場に意見をくみ上げずに本部の「命令」のみが一人歩きしていきます。ゲームならば、リセットしてもう一度やり直しが効きますが、戦争はとてつもなく被害(死者の山)が拡大します。3師団約6万人のうち、生存者は数えるほどでした。

挙句の果てに「自戦自活」と言う命令が出ます。「敵に降伏してはならない。補給は無い。自活しながら戦いなさい。」と言う命令です。日本の軍隊では、「降伏」という意味を教えていなかったのです。横田さん、小野田さんがいても不思議ではなかったのです。でも、不幸なことです。

フィリピン本島の戦いもレイテに戦力を割いて2分していたので、苦戦は当然でした。戦うことは、勝利することと言うより、本土に敵が攻め込むのを1日でも引き伸ばすこととして行われていました。

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2008年9月21日 (日)

久しぶりに汐入公園を歩きました

Dsc05894 秋の深まる上野公園では、ツクツク法師の鳴き声が一層多くなっています。銀杏の実が色づき、幾つかは道路に落ちはじめています。もう少し経てば、落下してあの強烈な臭いを放つことでしょう。銀杏の実は、それなりにファンもおり珍重されています。ついでに申しますと、銀杏の葉っぱが割れていないものが雌花で銀杏が生ります。よく見ますと葉っぱに割れ目がありません。聞いたばかりの知識をご紹介させていただきました。

Dsc05898 丁度、彼岸の時期で、ヒガンバナが咲き出しました。余り気にもしていなかったのですが、よくしたもので、彼岸になるとアッと言う間に咲き始めました。本当に不思議な植物です。

Dsc05920 今日は弁天堂におまいりして、久しぶりに汐入公園に行きました。相変わらず野球場などで子どもたちの歓声が響いています。中国原産のトロロ・アオイが咲いていました。月見草に比べられるような黄色の花ですが、大きさは直径10センチほどあります。

Dsc05883 緑の葉っぱの中に、一足早く紅葉している枝がありました。「モミジバフウ」と名前が付けられています。普通のモミジの3倍ほどありそうな葉っぱです。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、季節の移り変わりを着実に感じさせます。

三ノ輪から上野まで地下鉄で、上野から南千住まで地下鉄で移動し、雨が降り出したので、南千住から三ノ輪まで地下鉄で帰りました。それでも約1万千歩ほど歩きました。

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2008年9月13日 (土)

さつきの植替え

さつき教室で、午前9時から正午まで植替えを行いました。手分けして8名ほどの会員の手伝いをしました。3年経ったものや、それ以上経ったものもあり、植替えとしてはグッドタイミングのようでした。

Dsc05841_2 入会して今回始めての植替えをした人には丁寧に、入会して3年以上経って何本か枯らしてしまった人もいて、枯らさないコツを先生から教わり、来年に思いをはせながら丁寧に植替えを実施しました。植替えた鹿沼土がまぶしく見えます。

夕方、涼しくなってから荒川自然公園に歩きに行きました。丁度、「秋の七草と鳴く虫の会」を開催していました。秋の鳴く虫は8種類が紹介されています。家の近くでもこの頃こおろぎの鳴き声が賑やかです。秋の深まりと風情を感じます。

Dsc05862 秋の七草は「萩、ススキ、葛、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、桔梗」です。実物も展示され、山上憶良の歌の紹介など、紹介のリーフレットも用意されています。池の中央にせり出した東屋風の会場でで開催されています。見るだけでなく、参加の企画として川柳や俳句も募集し、優秀作品を紹介しています。明日まで開催されています。

ヤブランがそれなりに長い期間咲いていて目を楽しませてくれています。名前の割には、紫の花が綺麗でした。歩数も1万歩を超えました。

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2008年9月11日 (木)

加島祥造『老子までの道』

著者が60歳台、1986~1999年の間に書かれた随筆集。60歳からの自己発見。と副題が付けられています。本人は随筆と言っていないのですが、随筆として読みました。四季折々の著者が感じたことが綴られ、60台の私になんとなく共感するものもあります。

不易と流行が最初に綴られています。英文学者で翻訳を長くして、人生の後半から物を書くようになったといいます。後半に小学生時代の作文の話が出てきます。その前に絵の話が出てきます。それぞれ失敗と受け止めているようですが、そうでもないように思います。だから、両方とも人生の後半に手を染め始めたといっているのでしょう。

求めぬ愛ー1少女の手紙 味わい深く読みました。理解するまでに少し間があったのは、私が余り感受性がよくないのかもしれませんでした。中野孝次(清貧の思想:著者)との交流を通しての、不争、自足の解説、自らおかしさを感じておられるようで面白かったです。

そして、老子と深く付き合うのはこれ以降と言うことになるようです。

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2008年9月 6日 (土)

藝大で大学祭を開催していました!

月の最初の土曜日ですから、いつものように読経後、七福神巡りに回りました。途中、藝大で明日までの期間で大学祭を開催していました。神輿のコンテストがあって、入口を飾っていました。天狗のみこしが見事でした。

今日は、写真を秋の実りを中心に撮ってきました。銀杏、栃の実、山法師の実など秋の実りを感じさせました。セミの鳴き声も、クマゼミからツクツク法師に主役が代わってきています。しかし、蒸暑さは相当なもので、持参したタオルは相変わらずびっしょりです。

夕方は、さつき教室が開かれ、水遣り、施肥、植替え、針金掛け、鉢回しなど今後の手順や注意事項を含めてを教えていただきました。消毒液の配布もあり、教えのとおり進みそうです。

今日は、沢山歩き、2万歩を少し超えました。

写真については、3MBにしておりまして、ブログのシステムが変わったようで、”1MB”が上限で、upできなくなりましたので残念ながら今回は無しです。

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2008年9月 4日 (木)

山岡荘八『小説太平洋戦争』(5)

昭和19年3月に「インパール作戦」が始められ7月はじめに中止になっています。蒋援(中国蒋介石支援物資輸送)ルートの破壊とビルマを安泰にするために、隣国インドのインパールを押さえる。一つの地域を保つためにさらに先を押さえなくてはならない。そうして戦線が拡大していきます。

日本からはるかかなたのビルマで戦争をすることに驚きを禁じ得ませんが、さらにインドまで戦線を拡大することの無謀さを感じます。敵方は、道路を作り、食料庫をつくり、武器庫を作り、日本の戦線の不統一の隙に、堅固な要塞を築いてしまいます。わが方は、インパールを3方向から包囲していくことになりますが、ここまでは何とかなりました。

しかし、案の定、補給が途絶えます。食料は無くなり、弾薬が無くなり、戦車、大砲などの重装備の武器は無い。ジャングルの中を歩き回って靴は無くなり、裸足です。風呂にも入れず、服はぼろぼろになって今で言えばホームレスのような集団です。その間にいろいろの出来事がありますが丸3ヶ月間。徒労に終わったとしか言いようがありません。

武器、弾薬を失い、兵隊を死なせ、結果、撤退をすることになります。戦死者の埋葬も大きな仕事です。当然なことながら、負けようと思って作戦を進めたとは思いませんが、声の大きい方の作戦が通って結果が思わしいものが残らない。結果論ですが、見通しが甘かった。チームワーク(連携)が悪かった。と言うことです。

転じて、太平洋上のサイパン島です。マリアナ群島(サイパンはその1島)、カロリン群島の西太平洋地域は、戦前日本の委任統治領で、日本の統治下にあった地域です。サイパンの重要性は、島から本土まで2,400Km。B29(大型爆撃機)を飛ばせば、日本本土を空襲できると言うことです。そして、サイパンには在留邦人が2.3万名余、それにわが軍が3万名弱に増員をしたばかりです。

昭和19年6月15日、米軍のサイパン島上陸が始まります。事前に艦砲射撃で徹底的に砲撃を受けます。敵の上陸を9月頃と読んでいたわが方の見通しの甘さと準備不足ではどうにもなりません。絶対国防圏であるサイパン島に敵の上陸に備えての武器、大砲、弾薬、要塞など築いていなかったのです。ずるずると押し切られ、7月7日に玉砕です。1ヶ月と持たなかったのです。サイパンは陥落しました。不憫なのは、在留邦人、即ち非戦闘要員も巻き添えにして、その多くも命を落としていることです。

日本国内では、7月18日までサイパンの陥落は伏せられていました。その間の動きで、内閣にも変動が起きます。命の不安を感じながら岸信介商工大臣らの働きで東条英機首相を総辞職に追い込みました。新たに小磯国昭陸軍大将が首相に任命されます。

7月22日新政府が発足しました。小磯首相は、国力の再検討の報告を受けます。昭和19年度のわが国の生産力が目標の半分、来年は見込みが立たないとの報告を受けます。小磯首相は愕然とします。わが国に戦争遂行能力は無いと観念します。それでも、戦争は続きます。潮時は、指導者の情報として共有されていないのです。悲劇はさらに何重にも積み重なっていきます。

昨日、NHKでポツダム宣言受託の玉音放送(昭和天皇の終戦宣言)について特集をしていました。文言一つにこだわって1日放送が遅れ、この間に、空襲や出撃で戦いが継続し、何千人の同胞が命を落としています。幹部のメンツを立てるために数千人の命と引き換えられたのです。中央ではいち早く見切りをつけ、現場を救う見通しを持たなくてはならないこと、改めて強く感じます。

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