山岡荘八『小説太平洋戦争』(4)
昭和18年1月31日~2月7日にかけてのガダルカナルの撤退は、3回に分けて1万3千人余りが救出されました。地獄からの生還ですが、投入した兵力は半分以下になっていました。戦史家モリソン博士は「これほど見事な撤退作戦はなかった。」と絶賛しているそうです。山本連合艦隊司令長官が陣頭指揮を採ったとされていますが、いくら撤退が見事であってもガ島の戦いには負けたのです。
このガ島の敗戦が、今般の太平洋戦争のターニングポイントになったと筆者はみています。後は、負け戦の連続です。次の戦闘地域は、隣のニュ-ギニア島の戦いです。緒戦は戦いらしきものがありましたが、転戦ばかりです。敵は物量をふんだんに使い、当方は、機械化も遅れ、制海権も制空権も奪われて補給がうまくいかず、大砲や戦車や弾薬も少なく、食料の欠乏で飢えと病気で戦わずして尊い命を落とした軍人が沢山います。
敵方は飛び地に空港や道路を造るのにブルドーザーで1週間ほどであらかた目鼻がつきます。わが方は、工兵がいますがとても足りず、兵隊もつるはしとモッコで工事に携わりますが、敵方の30倍もの時間をかけざるを得ず疲労も大変です。戦いでなく工事に追われてしまうのが実情だっようです。敵の動きがあれば工事を放棄して対応します。スピードが違いすぎます。堅固な陣地を築くことなどに手が回らなかったようです。
ニューギニアの戦いは、緒戦のみで後は転戦ばかりです。道なき原始林の中を鉈などで切り開いて進み、時には2~4,000mの山を越え、谷に降り、滝のようなスコールにあい難行苦行です。1週間と言った日程が1ヶ月もかかってやっと目的地に着くと、敵方が既に上陸していて、そのまま迂回を余儀なくされ、先に行く。ただただ歩くだけです。
昭和18年から19年にかけてのこのニューギニアの戦いをわが国大本営では、極秘にして、ひた隠しにしていました。現場を知らない優秀な参謀が作戦を立て命令を発しますが、道なき原始林、武器の補充もない、食料の補給もないところに「命令」だけが出され、現地の兵隊をあちこちに動かしますが、日程通りには進まず、ズレばかりです。中央が現場と一体になってコントロールをしている状況にありません。
見栄と意地で命令が出され、現地では人命が日に日に損なわれていく。悲劇としか言いようがありません。筆者は、筆を置こうと何回も思ったと書いていますが、事実を伝えるためにあえて書かなくてはならないと自らを鼓舞して筆を進めています。私もこれだけのむごさに読むのを止めようと思いますが、先が気になります。
ビルマに話が移り、緒戦はうまくいったのですが、戦史上の最大の悲劇と言われるインパール作戦に向けてだんだん動いていきます。錯誤と意見の衝突、責任者(司令官)の罷免、兵隊の命が奪われ全滅が続きます。叔父の戦ったビルマの戦いが悲惨であったことを読み進めるうち涙がこぼれてきます。全ての戦死者に心からご冥福をと祈る気持ちで一杯です。
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